2008年02月19日

【書評】年金問題の正しい考え方

年金問題の正しい考え方――福祉国家は持続可能か

盛山和夫/中公新書

 社会保険庁の大失態があったことで、今回の参院選挙では、年金が争点だそうな。でも、与野党のメッセージを比べるに、その争点とは、保険料の支払いや年金給付の“確実性”だというのだから、嘆かわしい。そりゃ、年金保険料の納付記録はしっかりつけてもらわなきゃ困るけど、そんな小遣い帳みたいな次元の話が、どうして選挙で争われなければならないのか。やれやれ、だ。

 年金を議論するなら、もっと大事な話があるでしょうに。そう、本書が説くように「安心と信頼のおける年金制度」をいかに作るかってことだ。

 この本には、ビックリするようなことがいくつも書いてある。僕の驚きベスト3を挙げてみよう。第3位は、年金を保険料じゃなくて消費税にしても、世代間格差はなくならないということ。第2位は、現在の制度では、国民年金の未納率が低くなればなるほど、将来の年金会計は悪化すること。つまり、未納が多いほうが将来の赤字は少ないのだ!(だからといって未納でいいとは著者は言っていないので誤解なきよう)。そして栄えある第1位は、少子高齢化が年金財政の危機をもたらしたのはウソっぱちだということ!

 じつは、現在の年金危機を招いたのは、1973年の制度改正でとんでもない大盤振る舞いをしたことが出発点だった。一定額の保険料の拠出に対する年間の給付額を、73年の制度と現在の制度とで比較すると、なんと4・4倍も73年のほうが多い。が、真に驚くべきは次のことだ。かりに少子化も長寿化も起きずに、73年時の出生率や死亡率が継続したとしても、「1973年のスキームは崩壊する」。つくったときに崩壊することがわかっている制度なんて、詐欺同然だ。国民が年金に不信感を抱くのも当然なのである。

 では、過去の過ちを反省して、04年の改正で持続可能な年金制度になったのか。著者は、これまでの制度にはなかった「マクロ経済スライド調整率」(被保険者の減少と平均余命の伸びを考慮した支給水準の抑制)を新たに導入したことで、年金支出にメスを入れたことは画期的だと評価しているが、それでも現在、厚労省が想定しているシミュレーションでは「維持不能」だと診断する。

 あちゃー。すごくヤバイじゃん。だったら、やっぱり抜本的な改革が必要なんでないの? 全部、消費税にしちゃうとか? 僕もそう思っていたクチなのだが、本書を読んで見方が変わった。消費税化や積立方式も決して最終解決にはならないどころか、場合によってはさらに悪いほうにもなりかねないのだ。

 著者が考える望ましい年金制度は、最終章に記されている。その最大にして絶対的な基準は「持続可能であること」。

 言われてみればその通り。いくら小遣い帳をきちんとつけられるようになっても、肝心のお金がなくなったら、小遣い帳の意味なんてありませんもの。(執筆 2007年7月)
 
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2008年02月18日

【書評】〈つまずき〉のなかの哲学

〈つまずき〉のなかの哲学
山内志朗/NHKブックス

 私たちが〈人生論〉に手を伸ばすのはどんなときだろうか。

 おそらく、幸福感に包まれている最中に、〈人生論〉なんて必要ない。毎日、ラッシュの波に飲まれて身を細くし、会社に行けば上司と部下との板ばさみ、妻や子供との会話も最近少なくなってきた……。はて、オレの人生って、いったい何だろう?――そんな人生に対する漠然とした不安を感じたとき、人は〈人生論〉に何がしかのヒントを求めようとする。

 その意味では、本書もまた〈人生論〉と呼んでいいだろう。ただし、そこは気鋭の中世哲学研究者であり、『ぎりぎり合格への論文マニュアル』という論文作法の名著(?)をものした著者によるもの。そこらの〈人生論〉とは一味も二味も味付けは変わっている。キーワードは、「謎」「つまずき」「哲学」の三つだ。

 著者の〈人生論〉は、読者にナゾナゾを投げかけることから始まる。「朝は四本足、昼は二本足、夕方は三本足で歩く動物は何か」。いわずと知れた「スフィンクスの謎」だが、はて、これが何ゆえ〈人生論〉につながるのか。

 それは「人生論とは、〈謎〉を扱い、哲学は〈謎〉から生まれる」からだ。

 「〜とは何か」と問うナゾナゾは、一見、「1+1は何か」と問う数学と似ている。でもナゾナゾには、数学と違い、必ず解答を導き出せるような規則はない。むしろ、ナゾナゾを解く快感は、頭をひねって〈謎〉に秘められた規則を発見することにある。つまり、論理的思考からはみ出すことにナゾナゾの面白さがあり、その点でナゾナゾは、「人生とは何か」「私とは何か」と問う人生論や哲学のフィールドに入ってくるのだ。

 そして、人生のなかで「〜とは何か」と〈謎〉を問う局面は、〈つまずき〉に直面しているときにほかならない。著者曰く「『〜とは何か』と問うのは、『〜』につまずいていることなのだ。失恋してこそ『愛とは何か』を考えるように、問いにはつまずきが潜んでいる」。
 こうした〈つまずき〉こそが人生を豊かにするのだ、と言うことはたやすい。実際、本書も結論だけを取り出せば、そういうことになるかもしれない。でも、なぜ?

 ここに本書の面目躍如がある。すなわち、〈つまずき〉がどのような理路で希望を生み出すことになるのか。それを「私とは何か」という哲学の〈謎〉とともに解き明かすという離れ業を本書はやってのけているのだ。

 書名のとおり、本書もつまずいては進むことの繰り返しで、迂回に迂回を重ねた思考が展開されていく。ナゾナゾの話がいつしか、ヴィトゲンシュタインやカントといった哲学に接続され、さらには「ハビトゥス」なんぞという耳慣れない単語まで登場する。

 だが、安心されよ。著者も含めた哲学者はいわば〈つまずき〉の名人。先達の〈つまずき〉に共感を覚えるとき、あなたの哲学が起動するに違いない。
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2007年08月10日

『〈精神分析的子ども〉の誕生』ブックレビュー

大学塾!! Blog で『〈精神分析的子ども〉の誕生――フロイト主義と教育言説』(下司晶・東京大学出版会)のブックレビューを書きました。

http://ac.justblog.jp/djuku/2007/08/post_6ffb.html#more
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2007年08月01日

『学生による教育再生会議』書評

大学塾!! Blogで『学生による教育再生会議』(東京学生教育フォーラム・平凡社新書)の書評を書きました。

http://ac.justblog.jp/djuku/2007/07/post_3b18.html#more

いろいろ注文もつけましたけど、教育再生会議の論点をざっくりと知るにはうってつけの本です。教育本にありがちなイデオロギー臭もきわめて薄い。

ただ、再生会議の議事録なんかを読んでいて、つねづね思うのは、政府といっても決して一枚岩じゃないんですよね。各種メディアから向けられる批判の8割ぐらいは、すでに審議会などでも誰かしらから指摘されている。

そのあたりは、『メディアと政治』(蒲島郁夫、竹下俊郎、芹川洋一・有斐閣)を要参照。

だからたいていの批判は、官僚からみると、「またか」感が強いんじゃないかとお察しします。

教育でこれから注目したいのは、教員の給与問題。勤務実態調査を受けて、ということになってるけど、あれだけ残業しまくっている現状で、ほんとにパイ全体を縮小するのか。「教員の多忙化」ってことも、ぼちぼち浸透するだろうし、議論は相当、難航しそう。



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2005年08月30日

世界No.2セールスウーマンの「売れる営業」に変わる本

『ベストセラービジネス書ノトリセツ』の草稿。ネガティブすぎとのことで、書き直しになったんですけど、こちらのほうが気に入っているので、掲載します。

世界No.2セールスウーマンの「売れる営業」に変わる本


 「世界No.2」といっても、それは「日本ブリタニカ株式会社」のなかの話。それでも、「世界142支社中2位、年収3800万円」というのは大した数字ではあるが、著者が販売していたのが英会話教室のプログラムであり、フルコミッションという給与体系であったこと、日本はそもそも英語学習大国であることなど、その「営業」条件は、普通のサラリーマンと比べるとだいぶ異なる。しかし本書では、そうした営業環境や商品特性についての配慮はきわめて希薄、しかも記述の大半は対人関係能力の向上に割かれている。
 そういう意味では、本書はごくごくありふれた自己啓発の書であり、これといって新味はない。したがって、カリスマセールスウーマンならではの「秘術」みたいなものを期待して読む人は肩透かしを食らうだろう。
 そんな本書がなぜ売れたのかといえば、おそらく「キャリア系」とも「体育会系」とも異なる「癒し系」路線が成功要因。オビをでかでかと飾る顔写真のフツーっぽさ、冒頭やあとがきにある《ただただ電話をかけるのがこわかった》《私は営業が嫌いでした》といった過去の回想は、ネガティブ・シンキング層やポジティブ・シンキング予備軍の共感を大いに集めたはず。こうした「昔は落ちこぼれ」→「現在はカリスマ」という成り上がり成功譚は、いつの時代にも一定の需要がある。そこに、ゆるゆるな自己啓発をまぶすことで、いまの時代にピッタリの癒し系営業指南本ができあがり、というわけ。
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2005年08月09日

R25のブックレビュー

がWeb上でも読めるようになりましたので、リンク貼っておきますね。

ウンココロ』寄藤文平、藤田紘一郎/実業之日本社/1365円

最新業界勢力マップ』オバタカズユキ/ダイヤモンド社/1029円
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2005年06月03日

「食を料理する」―哲学的考察

「食を料理する」―哲学的考察
松永澄夫/東信堂

衣食住という人間の「生」を支える大切な営みについての省察を、哲学は長いことほったらかしにしてきた。だが、哲学だの思想だのといった思考の営為は、衣食住という家政の安定があって初めて成り立つものだ。「哲学が、私たちが生きることを真剣に主題にするものであるのなら、食を取り上げないですむわけがない」というまえがきでの著者の言葉に、ぼくは100%同意する。

食の哲学の第一歩は、人にとっての食の独自性をマッピングすることから始まる。植物が水を吸収すること、クルマがガソリンを「食う」こと、呼吸をすること、これらとの比較を通して、人が食べることの内実が浮き上がってくる。人が安定して食糧を確保する道筋を通じて、経済に先立って政治や権力が発生していくという指摘は、なかなかスリリングだ。同時に、食べることが、食べる人がどういう人間かを語ってしまうという、食のメッセージ性についての考察も興味深い。さらに、食と環境問題、食の安全、食事の時間のもつ意味、食の社交性など、扱うトピックは多岐にわたっており、読み進めていくうちに、食がさまざまな人間的事象と結びついていることがわかってくる。

しかし、なんといっても本書の白眉は「味覚」についての議論だろう。もちろんグルメ云々の話じゃない。「味わうとは一体どういうことか」「なぜ味を分類できるのか」といった問いをとことん考え詰めていくのが哲学だ。ここで読者は、知覚と感覚との違いを語る、著者独特の哲学的議論の面白さに引き込まれていくだろう。とくに、生理的プロセスでは説明不能な知覚の特異性を解き明かすくだりは、見事の一言に尽きる。少しでも近代哲学をかじったことのある読者なら、ここで認識論のアポリアを思い浮かべて読むといい。

現代社会において、食をめぐる問題はさまざまにある。本書は、その解決は提示しないが、問題の一番の根っこをしっかりとつかまえている。世界のあり方を考えるうえでも、そして個として自らの生き方を考えるうえでも、食の省察は欠かせない。願わくば、本書を読んで少しでも多くの人に、「歓び」の享受としての食について考えてもらいたい。
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2005年05月17日

採用の超プロが教える できる人できない人(事情によりボツ原稿)

採用の超プロが教える できる人できない人
安田佳生/サンマーク出版

 「超プロ」という浮わついた言葉をタイトルに持ってくるあたりから、怪しげな気配は濃厚だが、内容も期待通りの薄さである。
 さすがに17万部も超える本だけあって、つかみはお上手。人件費削減ムードが支配的なご時世に、優秀な新人を採用するなら「200万円くらいお安いものだ」とか、素材の悪い「カツノリ」は優秀な「古田」にはなれないとか、転職市場に流れる人材の大半は「ピラミッドでいえば、底辺に近いところにいる」とか、一見、きれいごと抜きのホンネ本を予感させ、読者の購入意欲を煽る仕掛けになっている。だが、要するに言いたいことは、「お金をかけて新卒を採用しましょう」ということで、これは「ウチに頼めば、いい新人採れますよ」という著者が社長を勤める採用コンサル会社のパブリシティと表裏一体となっていることを見逃してはならない。だからこそ言葉に力も入るというもの。
 しかし、目を引くのもそこまで。第2章以降では、人材論や新卒採用の方法論を開陳してはいるものの、書いてあることといえば、「人材には育つ人材と育たない人材がある」、「はみだし者がいないと、会社は活性化されない」といった当たり障りのない精神主義的コラムのオンパレード。しかも、採用する側と採用される側両者に目配せしているため、どの客層にとってもメッセージは中途半端。「超プロ」なのに、データの裏づけも体系性もない。いかに本書を熟読しようとも「できる人はできる」「いい人材のいる会社はいい会社」という同語反復以上の内容は読み取れない。
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2005年05月16日

世間の目(ブックレビュー)

すでに発売(配布)期間を過ぎた雑誌に掲載されたブックレビューを随時掲載していきます。

世間の目
佐藤直樹/光文社/1470円

 会社勤めをしていたころ、遠距離の出張に行ったら必ず土産(たいていはお菓子)を買ってくる、という暗黙の社内ルールがあった。そういや食堂には「お局」指定席なんてのもあったっけ。会社の規約にそんなことは書かれていない。いま思えば、これらは会社という「世間」の掟だったのだ。
 本書を読めば、日本にはこうしたバカの壁ならぬ「世間」の壁が、至るところに張り巡らされていることを痛感するはずだ。「世間」は何よりも同調を求め、自分たちの掟を破る者に対して、陰口を言う、交際を絶つ、無視するなど、容赦のない制裁を加える。地域、学校や会社で起こる村八分的なイジメ、凶悪犯罪者の家族への度を過ぎた非難、ネット社会での匿名性を盾にとった個人攻撃――本書が書き出す「世間」のカルテは、日本人の行動文法そのものだ。イラク事件人質の家族バッシングもまた、「世間」を無視したがゆえの制裁だったといえないか。著者もいうように、「世間」は、「きわめて強力に個々の人間を拘束するような『権力』を発生させる」のだ。
 話は他人事ではない。胸に手を当てれば、ぼくもあなたも程度の差こそあれ、「世間」病の患者であることに気づくだろう。その症例研究は、歴史学者の阿部謹也や本書の著者である刑法学者・佐藤直樹らによって、ようやく始まったばかりだ。いまだ特効薬はないが、症状を自覚し、ビョーキとうまく付き合うことで、世の中はずいぶんと生きやすくなるはず。本書はそのための格好の常備薬となってくれるに違いない。
posted by saitoshokai at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事で書いたブックレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする