2008年02月18日

【書評】〈つまずき〉のなかの哲学

〈つまずき〉のなかの哲学
山内志朗/NHKブックス

 私たちが〈人生論〉に手を伸ばすのはどんなときだろうか。

 おそらく、幸福感に包まれている最中に、〈人生論〉なんて必要ない。毎日、ラッシュの波に飲まれて身を細くし、会社に行けば上司と部下との板ばさみ、妻や子供との会話も最近少なくなってきた……。はて、オレの人生って、いったい何だろう?――そんな人生に対する漠然とした不安を感じたとき、人は〈人生論〉に何がしかのヒントを求めようとする。

 その意味では、本書もまた〈人生論〉と呼んでいいだろう。ただし、そこは気鋭の中世哲学研究者であり、『ぎりぎり合格への論文マニュアル』という論文作法の名著(?)をものした著者によるもの。そこらの〈人生論〉とは一味も二味も味付けは変わっている。キーワードは、「謎」「つまずき」「哲学」の三つだ。

 著者の〈人生論〉は、読者にナゾナゾを投げかけることから始まる。「朝は四本足、昼は二本足、夕方は三本足で歩く動物は何か」。いわずと知れた「スフィンクスの謎」だが、はて、これが何ゆえ〈人生論〉につながるのか。

 それは「人生論とは、〈謎〉を扱い、哲学は〈謎〉から生まれる」からだ。

 「〜とは何か」と問うナゾナゾは、一見、「1+1は何か」と問う数学と似ている。でもナゾナゾには、数学と違い、必ず解答を導き出せるような規則はない。むしろ、ナゾナゾを解く快感は、頭をひねって〈謎〉に秘められた規則を発見することにある。つまり、論理的思考からはみ出すことにナゾナゾの面白さがあり、その点でナゾナゾは、「人生とは何か」「私とは何か」と問う人生論や哲学のフィールドに入ってくるのだ。

 そして、人生のなかで「〜とは何か」と〈謎〉を問う局面は、〈つまずき〉に直面しているときにほかならない。著者曰く「『〜とは何か』と問うのは、『〜』につまずいていることなのだ。失恋してこそ『愛とは何か』を考えるように、問いにはつまずきが潜んでいる」。
 こうした〈つまずき〉こそが人生を豊かにするのだ、と言うことはたやすい。実際、本書も結論だけを取り出せば、そういうことになるかもしれない。でも、なぜ?

 ここに本書の面目躍如がある。すなわち、〈つまずき〉がどのような理路で希望を生み出すことになるのか。それを「私とは何か」という哲学の〈謎〉とともに解き明かすという離れ業を本書はやってのけているのだ。

 書名のとおり、本書もつまずいては進むことの繰り返しで、迂回に迂回を重ねた思考が展開されていく。ナゾナゾの話がいつしか、ヴィトゲンシュタインやカントといった哲学に接続され、さらには「ハビトゥス」なんぞという耳慣れない単語まで登場する。

 だが、安心されよ。著者も含めた哲学者はいわば〈つまずき〉の名人。先達の〈つまずき〉に共感を覚えるとき、あなたの哲学が起動するに違いない。
posted by saitoshokai at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事で書いたブックレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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