2005年06月03日

「食を料理する」―哲学的考察

「食を料理する」―哲学的考察
松永澄夫/東信堂

衣食住という人間の「生」を支える大切な営みについての省察を、哲学は長いことほったらかしにしてきた。だが、哲学だの思想だのといった思考の営為は、衣食住という家政の安定があって初めて成り立つものだ。「哲学が、私たちが生きることを真剣に主題にするものであるのなら、食を取り上げないですむわけがない」というまえがきでの著者の言葉に、ぼくは100%同意する。

食の哲学の第一歩は、人にとっての食の独自性をマッピングすることから始まる。植物が水を吸収すること、クルマがガソリンを「食う」こと、呼吸をすること、これらとの比較を通して、人が食べることの内実が浮き上がってくる。人が安定して食糧を確保する道筋を通じて、経済に先立って政治や権力が発生していくという指摘は、なかなかスリリングだ。同時に、食べることが、食べる人がどういう人間かを語ってしまうという、食のメッセージ性についての考察も興味深い。さらに、食と環境問題、食の安全、食事の時間のもつ意味、食の社交性など、扱うトピックは多岐にわたっており、読み進めていくうちに、食がさまざまな人間的事象と結びついていることがわかってくる。

しかし、なんといっても本書の白眉は「味覚」についての議論だろう。もちろんグルメ云々の話じゃない。「味わうとは一体どういうことか」「なぜ味を分類できるのか」といった問いをとことん考え詰めていくのが哲学だ。ここで読者は、知覚と感覚との違いを語る、著者独特の哲学的議論の面白さに引き込まれていくだろう。とくに、生理的プロセスでは説明不能な知覚の特異性を解き明かすくだりは、見事の一言に尽きる。少しでも近代哲学をかじったことのある読者なら、ここで認識論のアポリアを思い浮かべて読むといい。

現代社会において、食をめぐる問題はさまざまにある。本書は、その解決は提示しないが、問題の一番の根っこをしっかりとつかまえている。世界のあり方を考えるうえでも、そして個として自らの生き方を考えるうえでも、食の省察は欠かせない。願わくば、本書を読んで少しでも多くの人に、「歓び」の享受としての食について考えてもらいたい。
posted by saitoshokai at 05:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事で書いたブックレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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