2014年05月27日

知識の三種

 大略すれば、知識には三種ある。
 第一は、読んだり聞いたりすることによってうるものである。われわれはこれを記憶して、平素重要な所有物として持っているもので、いわゆる知識の大部分はこの種のものである。われわれは地球上をくまなく歩きまわって、親しくこれを調査する訳にはゆかない。ゆえに、世界の知識については、他人が備えてくれた地図に頼る。第二の種類の知識は、科学的と普通いわれているものである。観察と実験・分析と推理の結果である。それは前者より強固な知識を持っているが、ある程度、体験的で経験的なところがあるかであろう。第三の種類の知識は直覚的な理解の方法によって達せられるものである。第二の形態の知識を重んずる人にしたがえば、直覚的な知識は事実に確実な基礎を有せぬから、あまり絶対的な信頼を置くことはできぬという。しかし事実としては、いわゆる科学的知識は完璧なものではなくて、それ自身限界性を有するものであるから、異変、とくに個人性異変の起った場合には、科学と論理はかねて貯えておいた知識と計較を利用する隙がない、記憶している知識だけでは役に立たぬ。かかる場合には、精神はあまり咄嗟なので過去に貯蔵した記憶の一切を喚起することはできないからである。しかるに一方、直覚的知識はあらゆる種類の信仰、とくに宗教的信仰の基礎を形成しており、最も能率的に危機に応じ能うのである。(鈴木大拙『禅と日本文化』8-9頁)
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